ゴルフとハワイ人生。ハワイで唯一の日刊日本語新聞「ハワイ報知」の社長 吉田太郎さんのハワイ人生物語

本日の、ハワイ大好きマガジンのインタビューゲストは、ハワイを代表する新聞、「株式会社ハワイ報知社」の代表取締役社長である、吉田 太郎さんです。

吉田さんは、銀行に就職後、㈱WDIのハワイ責任者、㈱アコーディアゴルフでゴルフ場の売買などのお仕事を経験され、現在、ハワイ報知社の社長として会社経営をするかたわら、日本とハワイを繋げる架け橋になりたいと、講演やハワイの地域産業を発展させる活動を行っています。今まで経験された仕事やハワイ報知新聞に対する想い、ハワイでの活動内容などについてお伺いしたいと思います。


ハワイに18歳で訪れてからずっと憧れだったハワイ。ゴルフがつないでくれた縁で導かれるようにハワイへ戻ってきた人生物語とは


覚田 )

本日はハワイ報知社の社長にお越しいただき、インタビューさせて頂きたいと思います。


吉田さん)

ハワイ報知社の吉田太郎です。よろしくお願いします。


覚田 )

吉田さんは今現在ではみんなが知っているハワイ報知社の社長でいらっしゃいますが、もともとハワイに憧れたのはいつ頃なのでしょうか?


吉田さん)

大学1年の時に、体育会ゴルフ部に所属していまして、遠征で約一か月滞在したのが最初のハワイでした。当時お世話になったゴルフ場のオーナーが同じ大学のサッカー部の先輩の方で、そのゴルフ場を安く使わせて頂きました。その方は当時30歳ぐらいだったのですが、面倒見がよくて、格好良くて、その先輩のようになりたいと思ったのも、ハワイの印象を押し上げた一因かもしれません。




覚田 )

ハワイに1ヶ月間!そうしたらもうハワイのことはだいたいのことはわかるようになりますよね。先輩とも食事したりランチしたり色々あるわけですから。18歳の時にハワイとその先輩に憧れたと。それから卒業されて就職しましたね。最初の就職先はどちらですか?


吉田さん)

最初の就職は銀行です。日本長期信用銀行という銀行です。


大学卒業後、銀行に就職。安定していた中で、自分の人生ルートもずっと銀行にいるのだろうと漠然と思っていました

吉田さん)

当時、就職活動している時に考えていたのは、業種については特に絞って考えておらず、業界2番手の企業に行きたいなと思っていました。


覚田 )

銀行員だったのですか?面白いですね。2番手というと?


吉田さん)

当時、長信銀の1番手は日本興業銀行でしたが、2番手が日本長期信用銀行だったので、長銀への就職を考えました。航空会社でしたら日本航空ではなく全日空に行きたいとか、保険会社なら、東京海上ではなくて三井海上といったように常に2番手に行きたいと考えていました。

なぜなら、1番手だとその地位を守ろうとする力が働きますが、2番手ですと1位に追いつけ追い越そうという積極的な動きをするのではないかと思って2番手の企業を考えました。

1992年に日本長期信用銀行に入行し、8年間在籍しました。銀行に入った時は、まだバブルの影響が残る時期でしたので、金融は安定しており、自分の中で将来のことについて、転職のことなどは一切頭になく、定年まで銀行にいるんだろうなと漠然と思っていました。


覚田 )

2番手戦略とは面白いですね。2番手だとベンチャーっぽいこともしますよね。
そして、終身雇用のようなイメージだったのですが、そういう時に転機が起こったのですね。


ゴルフがつないでくれた、ババ・ガンプ・シュリンプやカプリチョーザ、ウルフギャングステーキハウスなどのレストランの立ち上げ。多忙なハワイでの仕事にやりがいを感じていたWDI時代だったが・・・


吉田さん)

1998年、日本長期信用銀行が特別公的管理下、いわゆる経営破綻という形になったことにより、これからの将来どうしていこうかなと考えた時に、そのまま銀行に残るという選択肢もあったのですが、いろいろな企業からお誘いを受けていたので、何か違うことをやってもいいなとも思いました。

その中で話があったのが ㈱WDIというところで、外食産業、飲食店を経営している会社です。オーナーとはたまたまゴルフ場が一緒のメンバーで、今社長をしているその息子さんも小学校から一学年上で、知らない仲ではありませんでした。そのオーナーとたまたま一緒にゴルフした際に「どこで働いているんだ?」と聞かれたので「日本長期信用銀行です」というと、「今大変じゃないか、よかったらうちにこないか?」という話を頂きました。


<解説:WDIグループ>

株式会社WDI:東京に本社を置くレストランチェーン、ブライダル運営を行う企業。「ハードロックカフェ」「エッグスンシングス」「ウルフギャングステーキハウス」「カプリチョーザ 」「タオルミーナ」「カリフォルニアピザキッチン」「ババガンプシュリンプ」など25を超えるレストランブランドを持つ

転職を考えるにあたって、ずっとやっていくとすれば金融かなと思っていたのですが、仕事の内容が海外のレストランを日本に持ってくることをやってもらいたいと言われて、とても興味が湧き、転職を決意しました。


覚田 )

では、有名なWDIのことを知らない方のために、WDIグループが
どんなことをやっているか説明してもらっても良いですか?


吉田さん)

1番店舗数が多いのがカプリチョーザです。カプリチョーザを日本やアジアでの展開しているのと、アメリカ、アジアなどにある優れたレストランを日本で展開しています。代表的なものは、ハードロックカフェ、ニューヨークのグランドセントラルステーションにあるグランドセントラルステーションオイスターバー、映画のフォレストガンプをテーマにしたババ・ガンプ・シュリンプ、香港のミシュラン一つ星の飲茶専門店のティムホーワンなど25業態186店舗を展開しています。ハワイにも拠点がありウルフギャングステーキ、タオルミーナ、トニーローマ、アペティート等の運営を行っています。

私のWDIでの最初の仕事は、先ほども述べましたが、ババ・ガンプ・シュリンプという、映画の「フォレストガンプ」をテーマにした「ババ・ガンプ・シュリンプ」というシーフードレストランを日本に展開することでした。映画の中でエビ漁をやるシーンがあるのですが、そのエビを使ったレストランをやったらこうなるだろうというコンセプトのレストランです。

覚田 )

日本でいうと、「フォレストガンプ」の映画は「一期一会」というタイトルがついていましたよね?日本のお店は行ったことないのですが、マウイのお店も、海が見えるいいところじゃないですか。フォレストガンプが好きなので僕も行ってきました。映画のなかに出てきたお店ではなくて、映画の延長線上にあるレストランをイメージして作ったわけですよね。面白いですね。



吉田さん)

当時、アメリカに10店舗ぐらい展開していて、面白いコンセプトなので日本で展開しようということが決まって、日本での店舗展開の立ち上げ責任者として、マウイ島のラハイナにある店舗とアラモアナの店舗に通算で3ヶ月間トレーニングに派遣されました。

トレーニング内容は全ての業務に精通して、指導できるようになることです。キッチンには、いろんなセクションがあり、プレップと言って下ごしらえをするセクション、焼くセクション(グリル)や揚げるセクション(フライ)もありますし、皿を洗うセクション(ディッシュウォッシャー)もありますので、それを全部ひと通り経験しました。また、お客様に直接サービスをするサーバーやバーテンダーのトレーニングや、Tシャツ等のオリジナルグッズを販売するセクション(マーチャンダイズ)のトレーニングを受け、それを日本で働くマネジャー、アルバイトに全て落とし込むという仕事です。


覚田 )

それは、皿洗いから、そこの店長さんのマネジメントまでも学ぶのですよね?すごいですね。そこのノウハウを学んで、それを日本で再現するということですよね。設計とかもですか?


吉田さん)

設計についてはお店のコンセプトがありますので、デザイナーの方にお店を見ていただいて、コンセプトを理解してもらってから、図面を作ってもらいます。キッチンのレイアウトはどうすればオペレーションが簡単にできるかを考えて、我々が落とし込みます。ホールについても、どうすれば効率的に従業員が動けるようになるか、席の配置はどうすることによって、売上が上げやすくなるかなどを考えて設計します。


覚田 )

やっぱりそういうコンセプトなのですね。そして3ヶ月間そういった研修を受けて日本に帰ってくるわけですが、憧れのハワイに行けて嬉しかったですか?


吉田さん)

ハワイで働けたことは嬉しかったですね。トレーニングが終了して日本に帰ってきたあと、1号店のユニバーサルスタジオ店で、建築管理をしながら、アルバイトの人をトレーニングして、お店をオープンさせました。お店はお陰様で最高待ち時間3時間を記録するなど、人気店となりました


覚田 )

その当時、英語はできたのですか?


吉田さん)

英語はほとんどできませんでした。ペラペラの「ぺ」ぐらいです。トレーニングを受けている時に話している内容はわかりましたが、まだ話せるというレベルではありませんでした。


覚田 )

ペラペラの「ぺ」ぐらい!?(笑)
それで、その頃の役職はなんだったですか?


吉田さん)

役職はオープニングマネジャーでした。その後は、事業開発部長として品川駅にありますグランドセントラルステーションオイスターバーや、カリフォルニアピザキッチンなどをオープンさせました。

銀行から転職してレストランのことは何もわからなかったので、入社当時は何でもやると決めて、レストランオペレーションのノウハウを習得するようにしました。ババガンプの時はオープニングマネジャーでしたので、ゼロからトレーニングに入りましたけれど、その後は店舗展開権の交渉とか、契約後、トレーニングに派遣された社員の状況の確認、設計、建築などの管理をするマネジメントサイドの仕事をするようになりました。そしていくつか海外のレストランを日本で展開する業務や、カプリチョーザをアジアで店舗展開する業務とか、ババガンプシュリンプをバリ島にオープンさせるなど、約10年間この仕事をしていました。



ハワイにウルフギャングを作って、1晩に1,000人のお客さまが来る仕組みを作った。




覚田 )

銀行員8年、レストランオープニングマネージャー10年という経歴。そんなときにまたどんな転機が?


吉田さん)

海外のレストランを日本で店舗展開する業務の流れで、ニューヨークのウルフギャングステーキハウスを見つけて、是非とも日本で展開したいと交渉し、契約を締結することができました。しかし、2006年にアメリカで狂牛病が発生してしまい、日本に骨付きの牛肉が輸入できなくなってしまいました、ウルフギャングステーキはは骨付きの Tボーンステーキが有名ですので、骨付き牛肉が輸入できなくなってしまうとビジネスにならないので一旦、日本での展開がストップになってしまいました。


覚田 )

なるほど。ニューヨークは、いつもいっぱいで予約とるのも大変ですよね。


吉田さん)

契約当時は本店のみの1店舗でしたが、現在ではアメリカ、日本、香港、シンガポールなど合計20店舗展開しています。

先ほどお話しましたが、日本でのウルフギャングステーキハウス展開の契約が締結でき、出店候補地の選定などの準備をしていましたが、狂牛病の影響で一旦中止となって、これからどうしようかというときに、社内で日本人の観光客がたくさん来るハワイでお店を開ければいいじゃないかという話になりました。ハワイはアメリカですから骨付き牛肉の流通は全く問題なく、WDIもハワイですでにトニーローマの展開を行っておりましたので、活動拠点がありました。そのなかで2008年にウルフギャングステーキの立ち上げ要員としてハワイに行くことになりました。


覚田 )

2008年7月。38歳のときです。
ついにオアフ島にやってきたわけですね。素晴らしいですね。
引き運なのか行き運なのかわかりませんけど、何かありますね。
もともと、ハワイに行きたいことを社長などに話していたのですか?


吉田さん)

いえ、全く話していませんでした。その当時、ハワイにはなかなか時間が取れなくて、しばらくの間行けていなかったのですが、いきなり社長からハワイでウルフギャングを開けてこい。と言われて、そのまま赴任することになりました。


覚田 )

その頃の英語力はどうだったのですか?
ペラペラの「ペ」がどのくらいになっていたのですか?


吉田さん)

ペラペラの「ペラ」くらいです。(笑)それ以上は今も進歩しているとは言えませんが。

赴任して3か月くらいすると、英語が喋れるようになってきました。

赴任した当初は、店舗を建設しているときの用語が建築専門用語ばかりなので、何を話しているのか全く分からない状況でした。なので、現場にいた建築スーパーバイザーの人に、お昼ご飯をごちそうするからと言って、食事をしながらいろんなことを教えてもらいました。それで建築用語がわかるようになり、何を話しているのかわかるようになり、会話もできるようになりました。

覚田 )

なるほど。今のウルフギャングステーキの場所ですが、とても素敵なところですよね。いつも並んでいます。よく見つけますよね。今さらですけど、ウルフギャングのハワイ出店のその総責任者ですよね。すごい!お店は、何ヶ月くらいかけて探すのですか?


吉田さん)

あそこはいい場所が見つかりました。出店については自分から出店したいと申し込むケースと、お店を出してほしいと大家さんからオファーがくるケースがあります。ウルフギャングのケースは、ロイヤルハワイアンセンターにウルフギャングという素晴らしいうコンセプトがあるので、出店させて欲しいと申し込んだところ、今の場所が空いていたので、双方のニーズが一致し契約しました。


覚田 )

ハワイでお店を出すのは大変なことだと聞きますが、どのくらいで出来上がるのですか? 結構、時間がかかると聞くのですが。


吉田さん)

まだ2008年当時は今のようなコンドミニアムの建設ラッシュはなく、カカアコも昔ながらの倉庫街でした。建築の許認可を取るのには今と同じくらい時間はかかりますが、問題は今ほどなかったような気がします。許認可を取得できてから、お店は半年ぐらいでできました。それでも予定よりも2ヶ月も遅れましたが。

覚田 )

なんと、ウルフギャング最初は4ヶ月でできるはずだったのですね?
2ヶ月遅れたけれども、半年で出来上がった。
スゴイですね。
また、その時は家族で来られたのですか、
何年ぐらいハワイにいらしたのですか?


吉田さん)

はい。結婚していましたので家族も連れてきました。
子どもは当時5歳と1歳の二人ですね。

上の子はキンダーガーデンに通っていました。
子供の時の英語は耳から入っていきますから、先生が何を言っているのかがわかるのが早かったですね。

子供たちは今、日本に住んでおり、16歳と12歳になりました。当時学んだ英語の発問もすっかり忘れ、コテコテの日本語発音英語になっています。こちらに住んだ当初はハワイに住むなんて全く考えていなかったので、右も左もわからず不安もいっぱいでしたが、今となってみては家族でハワイでしかできない経験をいろいろできて、楽しい時間を過ごすことができました。

ハワイにはお店の建築で1年、オープンして1年弱、合計約2年の駐在でした。

当時はオープンしてお店が順調に回りだすと次のプロジェクトを担当するという感じでした。その時はバンコクで寿司店をオープンさせるから、帰国してそのプロジェクトを担当するようにと言われました。僕も家族もハワイでの生活にやっと慣れてきたところだったのでショックでしたね。

バンコクでのオープン準備のために日本に帰任という形となりましたが、バンコクは当時政治クーデターがあり、あまり治安的に安全な状況ではなかったので、駐在ではなく出張ベースで開店準備・指導を行いました。この時のケースはフランチャイズで現地の企業が店舗を運営するので、スーパーバイザーという形で月1回2週間ほど行っていました。

バンコクで寿司店を無事に立ち上げた後、ハワイでもう一度働いて、一旗あげたいなと思うようになってきました。もちろん、日本で働くことに何の不満もなかったのですが、自分の中でハワイでやり遂げた感というか達成感があまりなかったのです。異国の地ハワイで、ゼロからウルフギャングステーキハウスをオープンすることもできたし、お客さんも一晩に1,000人来るようなお店になったので、プロジェクトは成功したのですが、何か落とし物をしてきているような感じがしていました。


覚田 )

一晩に1,000人ですか?!(驚)すごいですよね。なのに達成感はまだなかった。貪欲ですね。普通1,000人来たら、「やったー!達成したぞ」となるのではないですか?どんな達成感がなかったのですか?


吉田さん)ウルフギャングステーキの開業後は、ウルフギャングの担当だけではなく、WDIのハワイの責任者でした。支社長という形です。

ウルフギャングステーキのほかに、タオルミーナやトニーローマ、ワタベウエディングとウェディングのケータリングも行っていました。午前中は事務仕事、ランチ時は店舗を巡回して、午後は営業廻りをして、夜は必ずウルフギャングステーキに行くようにしていました。オープンしてから1年もしないうちに帰任だったので、期間も短かったですし、もっと他にも何かできるのではないかと思っていて、自分のなかでやりきったという感じがなかったのです。それでチャンスがあればハワイでもう一度、挑戦してみたいなと思って、ハワイでの仕事を探し始めました。


覚田 )

でも普通だったらそんなに WDIのオーナーとも仲良くて、社長にも行ってこいと言われるくらいの仲で、様々な場所に行き、全部成功しているわけですよね。僕も昔、新しい事業部にばかり回されて、いつもその事業部の平社員から始まって、平社員から上がっていきだんだん偉くなっていくと、次の他の事業部に行って、また立ち上げてまた偉くなると次に行ってという。ずっとそんな立ち上げ屋のようなものをやらされてきたのですが、同じですね。ゼロから立ち上げるのはなかなかできないからということですよ。すごい評価じゃないですか。そしたらハワイの仕事を探さずに「僕はハワイに行きたいです」と言えばいいのではないですか?


吉田さん)

もちろんお願いしたこともあります。しかし後任も着任していますし、企業として人材を育成していかなければならないので、人事ローテーションを考えれば、同じポジションでの赴任の可能性はないと思いました。


1日1,000人が訪れるレストランを成功させても得られなかった達成感。またもや転職のきっかけはゴルフ。


吉田さん)

ハワイでの仕事はないかとアンテナを張り巡らせていたところ、(株)アコーディアゴルフという、日本で一番大きい数のゴルフ場を運営している会社がありました。

そこで、同じゴルフ場のメンバーの方に「ハワイでもう一度仕事を探している」とお話ししたところ、「一度話を聞きに行ってみては」と副社長を紹介していただき、お会いして話を伺う機会がありました。

そこで、ハワイでゴルフ場の買収を検討しているので買収チームの一員として手伝わないかという話をいただいて、転職しました。銀行時代にM & Aの 経験もありましたのでそれを活かしながら、事業開発部というゴルフ場を売買する部署で働きました。結果としては、ハワイのゴルフ場はタイミングやマーケットの問題もあって、買収することはできませんでした。


覚田 )

一番最初にハワイに来たのもゴルフが縁で来て、銀行で働いて8年でM & Aを学び、そして飲食でハワイに来て土地勘もでき、ハワイに住み、そしてゴルフ場買収と。素晴らしく繋がっていますね。


吉田さん)

吉田太郎を因数分解するとハワイとゴルフだとよく言われます。(笑)


覚田)

それは、面白いですね。常にキーワードとして出てくるのがハワイ。そして、人生の転機のきっかけを作ってくれているのがゴルフですもんね。


吉田さん)

はい。そうですね。たとえハワイに行けなかったとしても自分の好きなゴルフの仕事に携わっているので、この会社で働いているのも楽しかったのですが、3年経ったときにまた転機が訪れました。


好きなゴルフの仕事をずっとやっていくと思っていた矢先、ハワイでの仕事のオファーが舞い込んで来ました。きっかけは、またしてもゴルフでした


覚田)

3年経ったころ、それが5年前の2014年 45歳のときに静岡新聞の社長から「ハワイ報知」のオファーが来ました。なんでそんなオファーがくるのですか?


吉田さん)

実は静岡新聞の社長とは大学は違うのですが、同じゴルフ部の同期であり、旧知の仲でした。

彼から、静岡新聞100%の子会社のハワイ報知の社長がリタイアするので代わりを探しているのだが、社内にも適当な人物がいないので、お前がやってくれないか?というオファーを貰いました。


覚田 )

ゴルフって人生を助けるんですね(笑)
そんなにゴルフが大事とは思っていませんでした。
そういえば、僕もありました。ゴルフが人生を助けてくれたこと。

奥さんの親に結婚を申し込みに行ったら大反対されまして、お父さんから反対、お母さんからも反対、妹からも反対、一番反対していたのは奥さん本人でしたが(笑)
なんでも、IT企業の社長は怪しいというのが理由だったです。

これをなんとか攻略したいと思っていろいろやっていると、お父さんと娘さんは、あっ僕の奥さんですが1回もゴルフを一緒にしたことがないということがわかって。でもお父さんは週3回くらいゴルフをするほど大好きでした。

結婚を大反対されているなかで、僕が初めてお父さんに会いに行ったときに「お父さんはゴルフが好きと聞いたのですが、娘さんとゴルフしたくないですか?」と言ったところ、一緒にしたことがないからしたいと。じゃあ行きましょうということになり、20年くらいやっていないゴルフに誘って、お父さんとお母さんと僕と奥さん4人でゴルフに行って、運が良かったのか、お父さんと1ホールだけスコアが一緒になったのです。

そのときに僕のゴルフのやり方が、かっ飛ばすのではなくて、丁寧にゴルフをする。そして細かく確実にやっていくというのを見て、「お前はIT会社の社長で人の家に土足で入って来てグジャグジャにするタイプだと思っていたけれど、堅実なんだね」と言って結婚を許してくれたんですよ。


吉田さん)

ゴルフってすごいですね。(笑)


覚田)

でも、それ以来してないです。13年間。

せっかくハワイにいるのにしないのかと言われるのですけれど、それっきりゴルフはやっていないんですよ。今日のお話でちょっとやろうかな、もう一回。(笑)

さて、話を元に戻しますがハワイ報知社にはすぐに社長として行かれたのですか?
それはイメージ的には今までのように、ちょっと行ってきてというのではなくて、
今回は社長になって、ずっとハワイに住んでくださいねというような感じのオファーですよね?


吉田さん)

当初は副社長として半年間在籍し、前社長の退任後に社長に就任しました。所属は静岡新聞社から出向という形できていますが、ハワイ報知新聞社社長でアサインされていますので、ハワイ報知に定年まで勤務するつもりでいます。


覚田 )

ついにハワイに永住ですね。ゴルフでハワイに憧れて、大学卒業後、銀行員となり、WDIに入社してババ・ガンプ・シュリンプやウルフギャングの立ち上げをし、アコーディアゴルフではハワイのゴルフ場売買チームに入りましたね。その後、ハワイ報知社の社長になられたということで、素晴らしいハワイ人生。ゴルフ人生ですね。今もゴルフはされていますよね。


吉田さん)

ゴルフは週1回くらいしています。


覚田 )

憧れのハワイでゴルフ。最高ですね!


吉田さん)

最高ですね。(笑)


覚田 )

なんか今日は、結構半分くらいゴルフの話になってしまいましたね。(笑)
やっぱり、吉田さんはハワイとゴルフ。でした。
本日にありがとうございました。


吉田さん)

ありがとうございました。




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