岡山の元サッカー少年が、イタリアに憧れて突然シェフを目指し、トスカーナのラ・ロッタ・デル・ヴィーノ・スローフードコンテストのメイン部門で1位を受賞。そしてハワイでイタリアンレストランの開業に携わるまでのストーリーと、これからのことをお聞きしました。
岡山のサッカー少年がイタリア料理人を目指した理由。
覚田)今、ハワイのワイキキにある、タオルミーナという、シチリア料理がメインのイタリアンレストランに来ています。実はたった4ヶ月間でもう4回くらいこちらを利用させて頂いてまして、とても美味しいと評判のお店です。僕がハワイに来てからというもの、本当にいろんな方がここを紹介してくれたり、連れてきていただくんです。それくらい人に薦めたくなる店なんですね。
今日は、こちらのタオルミーナシチリアレストランと、アペティートワイキキのエグゼクティブシェフである三村浩之さんに、イタリア料理を目指した経歴や、ご家族とのハワイでの暮らしのこと、そして運営されているレストランや、出張シェフ、ケータリング事業のお話を、色々と伺っていきたいと思います。
覚田)三村さんは、もともとイタリア料理の料理人・・・ということですが、もともとどういったきっかけでイタリア料理人を目指すことになったんですか?
三村さん)実は、元々はそんなに料理がやりたくてやりたくてという感じじゃなかったんです。小学校の頃に岡山でサッカーに目覚めて、プロサッカー選手を目指して頑張っていたんですけど、年齢を重ねるたびに、自分はサッカー選手にはなれないことに気がついて。それで、イタリア料理人になればイタリアに行って本場のサッカーが見れるんじゃないか・・・と、そんな理由から始まったんです。動機は面白いのか、面白く無いのかわかりませんけど(笑)。
学生ビザで単身イタリアへ。100軒のイタリア料理店の門を叩いた。
覚田)どうやって料理を学んでいくんですか?
三村さん)とりあえず、21歳の時に、日本のとある町中の気軽なイタリアンレストランに入りました。最初は洗い場からだったんで、きつかったですね!朝から晩まで食器も野菜も洗うし、魚も捌くし。仕事がまだできなかったんでね。大変でした。
覚田)三村さんにもできないときがあったんですね。
三村さん)はい。できなかったから、今できない人の気持ちがわかるっていう。だからシェフになれるんじゃないかなと。今でもできない人を見ると、もうお世話したくて仕方がないです(笑)。
それからそこで3年半、下積み時代を過ごしました。そして、24歳のときに、その店のシェフに「イタリアに行きたい」、と言ってみました。当時はもう副料理長になってましたが、でも町場のお店だったんで、どうしたら一流のシェフになれるかなということを考えたら、とりあえずイタリアに行けばいいんじゃないか、と思って。噂では5万円払えば1年間のビザが出ると聞いていたので、それで、すぐにシェフ言って、1ヶ月後にはイタリアに飛んでいました。
覚田)もともとサッカーから始まったイタリアに住む夢ですが、3ヶ月間ですが、まず夢が叶ったというわけですね。どうでしたか?3ヶ月間は。
三村さん)そうですね、もう夢のような気分でしたね、そのときは。語学留学ということで、3ヶ月の学生ビザでイタリアに入国しました。勉強も授業もあって何日か出席しましたけど、学校には殆ど行かなかったんです。
最初の頃は、ちょっと食べ歩きましたが、お金も無かったので、町場のレストランに入りこみたいと思いました。そこで、100軒くらいお店を回って、イタリア語も英語もしゃべれないけど、ここで働きたいと伝えて、自分の電話番号を書いてオーナーさんに渡して、働けるところを探しました。断られましたけど、100軒回ったあたりで、料理も美味しくて、給料も月4万円で雇ってもらえるお店を見つけたんです。タダ働きよりいいかなと思って、そこに入りました。朝11時くらいから、夜11時まで。12時間ですけど、イタリアは昼休憩が長いので。4時間くらいあるんです。なので、結局は実質8時間ですね。
でも、そこは3ヶ月ほどで店が無くなってしまいました。幸運にもビザは学校に行っていたので、とりあえず1年間は滞在できるという状態でしたので、もうちょっといいレストランで働きたいと探していたときに、エノガストロノミコーというお店のオーナーシェフに運良く出会えました。そこで無給でいいから働かせて欲しいとお願いしたんです。
また、皿洗いからのスタートでした(笑)。
人生を変えた師匠との出会い。本場イタリア料理シェフのライフスタイルを間近で学べた、イタリア下積み時代。
覚田)人生を変えたシェフとの出会いがきっかけで、料理の作り方だとか、接客だとか、いろんなことを学んでいかれるのですが、そこではなにが一番勉強になられたのでしょうか?
三村さん)とにかくもうそのシェフと一緒にいる、ということが、全ての学びでしたね。
師匠の人柄と、彼の作った料理を食べた時に、ああ美味しいな、と思ったことがきっかけでしたから、皿洗いからスタートして、お休みの日にはきのこを採りに行くのを手伝わせてもらったり、そういうイタリアシェフのライフスタイルをそのまま学べるってことが僕にとっては重要で。本当に貴重な経験になりました。
実は、その店も、僕が入ってから一年くらいで閉店してしまって、その師匠は他のところに移ったんですけど、僕は師匠についていきました。実は僕、イタリアに滞在していた8割は、その師匠と過ごしているんです。シェフがいろんなレストランに移る度についていってるんです。本当に弟子みたいに・・・。鞄持ちみたいな感じでしたね。僕だけじゃなくて、メンバーも、ほとんど同じなんですよ。みんなそのシェフについていくという。
ハワイとかNYって、10年とかそんな感じの契約なんですけど、イタリアのそのオーナーシェフはそんな本格的にもやってなかったんですよね。機材とかも、あるものでやったりとか。だからイタリアでは、だいたい一年スパンで居抜きみたいなところにどんどん移っていって。となりの家に引っ越すみたいな感覚でしたね。今思うと不思議ですけど。やっぱり地域地域で考え方が全然ちがうんですよね。そんなこんなで、イタリアには2006年くらいまでいました。その時は28歳になってましたね。
料理の道を切り拓く!トスカーナのラ·ロッタ·デル·ヴィーノ・スローフードコンテストでメイン部門で1位に。
覚田)フードコンテストに出場されて国際部門で前菜で4位、メイン部門で1位で優勝を獲ったのはどの時期でどんな経緯ですか?
三村さん)このレストランで働いているときですね。その当時は、師匠の元で働いて2、3年が過ぎていた頃でした。すでに料理も作らせてもらってましたし、自分のお皿とかもあったときでした。
ある日、師匠からいきなり「コンテストにヒロでるか?」と言われて師匠がそのコンテストに出してくれて、そこで1位を獲ることができたんです。
コンテストのメインメニューはお魚で、それも師匠と一緒に考えましたね。あの時は本当に毎日が楽しかったです。もうそのことしか考えていなかったんで。
覚田)初めてエントリーするコンテストだったんですよね?もちろん優勝したことは、三村さんのもともとのセンスもあったと思います。
だけど、とにかくチャレンジするっていう意味では、最初は英語もイタリア語もできなかったのに、レストランを飛び込みで100軒も回った・・・というエピソードが最初にありましたけど、このイタリアでの成功のすべての始まりが、そこにあったんだな、と思いました。僕は英語もできないのにハワイにきて、いろいろ困っているんですけど。僕の信条が「とにかくやってみる」なんです(笑)。
三村さん)今考えたらそうですね。一緒だと思います。切り拓くってときは・・・きっとそうなんだと思います。心配ごとを考えたら延々と終わらないので。
最高のシェフであるとともに、ビジネスもわかる最高のシェフになること。
覚田)そうやって、その師匠との交流やコンテストで賞を獲ったあと、WDI(ワールドダイニングインターナショナル)との出会いがあるわけですね。
三村さん)はい。コンテストから4年経ったときに、各国へ旅行もしていたんですけど、やっぱり英語しゃべれないとダメなんじゃないかなというのが、自分の中でずっとあって。そのころはそこそこイタリア語がしゃべれるようになってたんです。もちろん問題はありましたけど、イタリア語は毎日現場で使っているので、料理のことであれば、キッチンの中ではもうバリバリで。レストランにいるとなんとなくわかっちゃうっていう(笑)。
でも、イタリア語っていうのはイタリアでしか通用しないですから、どこにいても通用するのは、世界共通語である英語が必要だ、とずっと考えていたわけです。それで、とりあえず世界で1番の街を見てみたい!と思ってNYを選んだんです。27歳とか28歳のときですね。実は当時、姉がLAに住んでまして。その姉がコンピューター会社のセールスをやっていて、そのコンピュータ会社が、日経の企業のシステムを作る会社だったんですけど、それがWDIのシステムを開発していました。
その関係でアメリカにこないか、と言われて。そしてNYに行って、その時のWDIの社長とお会いしました。今回はWDIとしてシェフとして入社して、一緒にやろうということになりました。
覚田)転機の時が来ました。いままでは自分のお店を持ったことがなかったわけですよね。自分でレストランを作ってシェフをする「オーナーシェフ」という言い方っていうのがありますけど、これは最初のイタリア修行時代に、オーナーシェフのところにずっと一緒に回っていた感じで、今回はWDIとしてシェフとして入社するけれど、好きにさせてもらえる。雇われシェフと言うよりも、「オーナーシェフ」という感じだったんですか?
三村さん)その頃はとにかくいいレストランをつくろう、しかなかったんです。そんなにまぁ、たいして考えてなくて、自分はこれがやりたいっていう。でも、その頃に一番考えてたのはビジネスでしたね。今までは料理だけをやっていましたけど、これからはどうやってお金を儲けていこうかなと、暮らしていこうかなと。ていうのが一番にありました。
覚田)僕も秘書時代が長くあって、師匠の社長の方の下でずっと秘書をさせて頂いて、その方の土日も一緒にいるし、ビジネスもみてるし、生活もみてるし、こう全部学ばさせて頂いたんですよね。多分ヒロさんもそのルカさんと一緒にいることによって、料理する瞬間もあればお店を引越しすることも、契約のときも一緒にいたかもしれないし、材料を採りに行ったりもしていたのですか?
三村さん)そう、採りにいってたんですよ(笑)。
先ほどからずっと話をしている、イタリア人の師匠のお名前はルカというんですけど
ルカと一緒にいたときは、料理を学んだり、材料を採りに一緒に山や農場へ行ったりはしていましたけど、ビジネスや経理的なお話はイタリアでは全くと言っていいほど、なにも聞いてなかったんです(笑)。だから実質、イタリアを出て、NYに行った時に初めて、ビジネスをやりたい!と思いましたね。
覚田)料理はできるようになった、優勝もした、そして次はいよいよ、オーナー的な考え方や視点をもって、ビジネスまでわかるシェフになろう!と決断しました。このことが後の自分の人生を決める、大きな人生の転機になったんだと思います。
NY・LAを経て、ついにハワイへ!2店舗のエグゼグティブシェフとして、やりたいことを我慢しないスタイルを追求!
覚田)なんでハワイに行ったのですか?
三村さん)NYに行って、WDIの社長に会って、一緒にやろう!ということになりましたが、実はなかなかビザがおりなくて。それで、その間にNYの英会話学校に通いました。世界一高い授業料の語学学校ですから、イタリアで貯めた、なけなしのお金が尽きたのは7ヶ月を過ぎた頃。お金もないし、NYもいれないってことになって。でもアメリカをでたらもう二度と入国できないことはわかってましたから、とにかくアメリカにいなきゃと思って、姉がいるLAに転がり込みましたね(笑)。
で、やっとのことでビザが降りたとき、ちょうど、WDIで、ハワイにビジネスがある、ということだったのですぐにハワイに赴きました。
それがこのタオルミーナになるわけです。2007年のことです。そのときはまだ29歳でした。もう12年になりますね。それ以来、タオルミーナとアペティートのエグゼグティブシェフとして、両方のレストランの経営をみています。
料理のターゲット層だとか、メニューだとかをこれまでの経験をもとに1から考えて作ってきました。入社当時から本当に自分の好きなことをやらせてもらえる環境にいます。お金や売上、それがもちろん一番重要ですけど、でもうちの会社のいいところは、自分が思ったことができて、そこにはほとんど我慢が必要ない、というところですね。
ハワイで古き良きイタリアが感じられる料理を出したい!そのチャレンジポイントとは。
覚田)ハワイでシェフと経営者としてご活躍されていますが、この12年の中で、ご苦労されたことや、チャレンジしてきたポイントを教えてください。
三村さん)まずはシェフとしてチャレンジしてきたという想いが一番強くあります。すでにこのタオルミーナやアペティートはもう僕がいなくてもしっかりとしたチームができました。基本的には絶対に自分たちが納得できない料理は出しません。過去に何度かシェフをしていたときに経験したのですが、ビジネスが優先だと、ビジネスだから、仕方がないからといって、妥協したり、適当にやっちゃえっていうようなこともよくあって、そういうのが一番納得いかなかったですね。少なくとも僕のスタイルは、それじゃだめなんです。
僕の目的というのは、美味しい料理を出して、相手に満足していただいて、そのあとビジネスとして成り立つということですよね。一見さんのためだけのお店をやるつもりはありません。ひとりひとりのお客さんを本当に大切にして、リピーターになって頂いて・・・という気持ちが僕の中に強くあります。
ですが、経営者としてのチャレンジポイントはどこかというと、この僕の信念をスタッフたちに浸透させることができるか、という部分だと思うんです。
このお店は、長期滞在者や、著名人の方などなど、本当に様々な方がお客様としていらっしゃいます。もちろん娘さんの結婚式で、初めての海外旅行で僕の店に来てくださるお客様もおられます。
そこをわかった上で、お料理を出す難しさっていうんですかね。これは、難しさでもあり、楽しみでもありますね。僕が重要視しているのはイタリアのクラッシックなイタリアを感じられる料理ですね。奇をてらったような、あまりにもかけ離れた料理は出しません。
このハワイで、古き良きイタリアを感じれる料理っていうのがすごく重要なんです。
だけど、ハワイに来た時、イタリア料理に必要な食材があまりにもなかったんです。イタリアの味が出せないっていうのは本当に致命的でしたね。
最近は魚もすごい新鮮なものや、野菜も結構手に入るようになりましたけど、この5年でハワイの流通もかなり大きく変わったと思います。料理の上手い下手はあると思いますけど、食材が無いとか、新鮮じゃないというのは、こちらはどうしようもできないですよね。今では、トリュフはイタリアから入りますし、フォアグラもなんでも手に入るようになりました。当時は、普通にベンダーさんに食材を頼んでも、知らないって言うんですよ(笑)。もちろん知ろうと努力することもないですし。だから、いまある食材でやるしかない!と決断して、工夫や研究もしましたけど、やっぱり富裕層のお客さんに、いまいちだ、とか、美味しくない、と言われたりと悔しい想いをする日々がありました。
確かに食材がないので、当然と言えば当然なんですよね。でもこの5年で、本当に変わってくれて、我々も今ではほぼ妥協なく食材を使えていますから、ここまで諦めずに頑張ってこれてよかったです。食材の値段は相変わらず高いですが、それでも新鮮なものが手に入るようになったということはシェフとして、本当にうれしいことです。
ケータリングから出張シェフまで・・・レストランだけに留まらない三村さんのハワイビジネス!
覚田)さてここからは、三村さんの事業のひとつである、出張シェフやケータリングのサービスについてお聞きして、そこでみたハワイに移住している長期滞在者や富裕層の方々が、どんな生活をして、どんな楽しみ方をしているのか、そして、三村シェフ自身の経験を通してお伺いしたいと思います。
最近、カカアコなどにあるコンドミニアムでパーティーやお誕生日会によくご招待頂くんですけど、こちらでは毎週のようにバーベーキューパーティーをする習慣がありますよね?実際に僕が三村さんに初めてお会いしたのも友人のパーティーでした。まだその時僕は三村さんのことを知らなくて、また三村さんも友人として来られていたので、焼かれたお肉が美味しくて、「焼くのが上手ですね」なんて言って失礼をしていました(笑)。
さて、ケータリングと出張シェフですが、僕の中ではイメージは明確に別れています。ケータリングは料理を運んできてくれる。もしくは、作ってもらってそれを取りに行く。自分たちでその前後をすべて行う。ウーバーイーツのイメージです。
そして、出張シェフというと、シェフに自宅に来ていただいて家でパーティをすると。僕も福岡の自宅ににいるときに、いろんなレストラン食べ歩いてて、仲良くなると今度うちで作ってよって、呼んで作ってもらってたりしたわけなんですけども、シェフが材料を持ってきてくれて、家にある食器とか調味料とかをみて、料理をしてくれて、サーブもしてくれて、片付けまでしてくれて、奥さんも一緒に楽しめる、奥さんがなにも動かなくてもいい、こんなハッピーなことはない!みたいな。
ハワイはそもそも、ケータリングと出張シェフっていうのはわかれていないんですか?
三村さん)ハワイでは一緒だとおもいますね。全てを含めてのケータリングや出張シェフといいますね。
覚田)例えば、こちらのタオルミーナのケータリングをしたいと言ったら、作られたお料理をお届けしていただけるだけじゃなく、シェフも一緒にこられるんですか?
三村さん)いろんな形態があります。一番気軽なサービスで一番簡単なのは、お料理を作ってお届けする、ドロップという形態です。
ケータリングと出張シェフの料金や人数、価格の目安
覚田)ここからは、料金や人数、トータル価格など、細かくお聞きしたので対談方式ではなく、まとめて記載してみました。
●ドロップ・サービス
このサービスは、事前に打ち合わせをして、どんな料理が食べたいか、一人あたりのご予算を聞いてお作りしています。そして、当日コンドミニアムの入り口までお食事を受取に来て頂きます。このドロップの金額はお一人当たり、約30ドルからご提供しており、ミニマム1000ドルから承っています。
例えば、お一人30ドルだと、30人くらいパーティに参加されたら、1000ドルですね。ここに、アワビが食べたいという人もいらっしゃいます。食材やお料理のメニューによって、金額は上がっていきます。大体、30ドルから60ドルのご利用が多いですね。60ドルだと、最低1000ドルなので、18人くらいのパーティーのイメージなります。配送料は基本的には頂いておりません。ノースショアとかにお届けだとさすがに配送料金は頂きますが。ワイキキ周辺、カハラ周辺は配送料は無料です。
●ビュッフェ・サービス
その上は、ビュッフェ形式があります。これは我々スタッフがお料理を運び、お料理をセットアップします。大皿に料理がのっている感じです。これは基本的にはお客様へのサーブのサービスはありません。ある程度の片付けなどは行います。こちらはお一人、10ドルから80ドルです。これにプラス、人件費がかかります。人件費は1人200ドルです。スタッフが2名だと400ドルですね。例えば、20名のビュッフェスタイルのパーティーですと、お一人当たり80ドルで、20名で1600ドル。そしてスタッフの人件費が2名分で400ドル。両方あわせて2000ドルくらいになるというイメージです。ビュッフェスタイルの一番良いところは、ドリンクをお客様ご自身で手配ができるところです。ワインとかお店で頼むとすごく高いですから。お店だと2.5倍から3倍くらいしますね。自分たちで、用意すれば、飲みたいワインを安く飲めるのでとてもリーズナブルですよね。
●バーベキュービュッフェ・サービス
ビュッフェスタイルの次に、バーベキュービュッフェというスタイルがあります。
これはバーベキューグリルがコンドミニアムやパーティー会場にあることが前提ですが、ハワイには大抵グリルは設置されてあります。そこで、ビュッフェをベースにして、ライブパフォーマンス的に目の前でTボーンステーキやエビを焼いて、できたてのお料理が食べれます。値段は立食スタイルと変わらないので、あとはお客さんのご要望によって、どういうものが食べたいかによって金額は変わります。
●コース料理スタイル・サービス
その上は、コース料理スタイルがあります。これはタオルミーナと変わらないお料理を提供させて頂きます。目の前で僕(三村シェフ)か、副料理長がお客さんの目の前で、10名のゲストであればその10名のためだけにコース料理をお作りするサービスです。
金額は大体一人あたり85ドルから100ドルくらいです。それに人件費がプラスされます。20名いたら、お一人100ドルの場合、2000ドルですが、20名となれば、スタッフは3〜4人は必要ですね。4人必要だとしたら、800ドルになりますので、トータルは2800ドルくらいのイメージとなります。お料理を作りながらも、ずっとお客様と一緒にいて、お料理の説明もします。お客様と密にコミュニケーションがとれますね。
●プライベート料理スタイル・サービス
さらに上・・・となると、あとはなにを食べたいかによるので、特にスタイルがあるわけではないですね。要望を聞いて、事前に打ち合わせをします。打ち合わせでオーダーメイドなので決まったメニューもあるんですけど、アワビやロブスター、トリュフ食べたいとか、そのときになんでも言っていただければ大体のことはできると思います。間に和食をいれたりとか。これはもう我々としてもおもしろいんです。エビをいれてほしいとか、イタリアンを食べて、最後に締めでウニご飯を食べるとか。本当に自由です。なので、事前の打ち合わせはとても重要です。タオルミーナでもアペティートでもお客様の都合の良いほうで行います。
イタリア料理の中に、日本料理のサプライズ。お客様の空気も読む、三村さんのおもてなしの心。
覚田)出張シェフやケータリングで、これはちょっと難しいんじゃないの?変わってるんじゃないの?っていうオーダーを受けることは楽しいですか?
三村さん)はい。たのしいですね。実際お店って行くと雰囲気含めてイタリアンなのですが、家に行ってしまうとその雰囲気に合わせます。イタリアンだけだと、コースの締めにウニご飯とあさりのお味噌汁を出すとか、そういうサプライズをいれると喜ばれることがケータリングではよくあります。90パーセントはイタリアンなんですけど、ジャンルを問わず、頼まれたらなんでもお作りしますね。
以前、プライベートジェットの機内食もお作りしたことがありました。なんでもやりますね。本当に楽しかったですね。その時は、お客さまの好きなものを20品くらいパッキングして。青椒肉絲やエビチリもメニューに入れました。お寿司は流石に無理ですけどね(笑)。普段からその方のケータリングをやってたので、もう好みはわかってたんですよ。パッキングしたお料理はキャビンアテンダントの方が当日、受取りにこられて。お料理は10人分とかそんな感じですね。絶対全部はお食べにはならないんですけど、欲しいと思った時にないものがないように、いろんな種類をご用意させて頂いています。
こちらはドロップサービスなんですけど、それはほんとに通常の金額とは、ぜんぜん違いますね(笑)。機内食という、特殊なものなので、特においしいもの、お店で使っていない食材などを使用します。そのためだけに仕入れて、調味料も特別なものになっています。最高級のフィレ肉でつくる青椒肉絲とか・・・本当においしいんです!
覚田)えー青椒肉絲・・・いいお肉を細切りにするんですね、それは美味しそうですね(笑)。思わず白ごはんが欲しくなりますね。他に変わった依頼はありましたか?
三村さん)はい。キッチンのないところで本格的な料理をやってほしいというご依頼などもあります。例えばリゾットが食べたいと言われ、向かったところは、キッチンもグリルも電気もない、ただのだだっぴろい庭園みたいなところでした。あとは、だいたい結婚式のパーティとかですね。こういったご依頼の場合、やっぱり悩むのが、果たしてこの現場で良いお料理が提供できるのか、っていうことところですね。もし出せないのであればお断りさせていただくことになりますので。青い空、海、緑があって、そこでなにもないようなところであったかい料理を出す、というのは簡単ではないですよね、しかしながらそこに葛藤があるといえば・・・あるんですよね(笑)。良い料理をださないと僕もおもしろくないので。
あとは船の上ですね。実は僕は船酔いをするので、今は僕はやらないです(笑)。実はイタリアで賞をとりましたが、そのコンテストが、船のクルーザーのキッチンでつくる、という面白いコンセプト設定だったんですけど、そのときにすごい船酔いして。ハワイでも、やっぱり船酔いして、これはもうちょっとむずかしいかな・・・と。それ以来船のご依頼があれば、うちの副料理長を・・・(笑)。
覚田)変わったメニューの依頼はありますか?
三村さん)はい。ありますね。たとえば、ハンバーガーと焼きそばがありましたね!なんで我々に頼むんだろうというところからはじまったんですけども。おいしいハンバーガーと焼きそばをこのイタリア料理のタオルミーナに(笑)。
値段はいくらでもいいと。悩みましたね。やっぱり、作り手としては、お客様から、わっ!と言われるような美味しいものをだしたいですよね。そういうオーダーをしてくる人って、おそらく安易にトリュフを使えばいいってわけじゃないんですよ。そんなのいつも食べていて、3大珍味が食べたいわけじゃないんですよね。きっと、シンプルですごくおいしいのが食べたいはずだってことで。僕の中ではせっかくアメリカなので、やっぱりアメリカンビーフを使おうと画策しました。和牛でもいいんですけど、アメリカンビーフを使ってミディアムに焼き上げるとか、パン生地をこねて、バンズを焼くとか。そして、僕の好きな味を作ろうって決めました。料理って最終的には、そのシェフの味覚とお客様の味覚が合うかどうかってことだと思うんですよね。最終的には、自分が好きな料理だと思っているんです。
そして、当日伺った場所はカハラ地区のあるお宅でした。お客様は4人でしたね。
依頼されたお料理を普通にまじめに出すんじゃなくて、サプライズなメニューも用意します。肉巻きおにぎりです。お客様から言われた要望に対してだけ対応するんじゃなくて、ご要望を伺っていると、だんだんイメージが広がってくるんですよね。こういうものが好きなお客様にはこういうお料理がいいだろうなとか。ここまで来ちゃうと、もう予知能力が必要ですね(笑)。
シェフとしての基本の信条でもありますが、お客さんをみてない人に良い料理は作れないと思うんです。もちろん僕はこのタオルミーナでもお客さまに挨拶にいきますし、話してるとなんとなく、好みがわかるってくるんです。これはもうおもしろいとしかいいようがないです。人としゃべっている間に多分、うちのメニューでもこれが美味しかったと言ってくださる方たちはこういう系統のお料理が好きだろうな、というのがイメージできるようになりました。
お客様が自分の本当に食べたかったものを理解してもらったことによって、その方はリピーターになってくださったのかもしれません。お客様によっては、なにが食べたいか、あとはなにを食べたいのかが、自分で明確にわかっていらっしゃらなかった。だから、家庭料理がいいのではと思って、肉巻きおにぎりとか、そんな料理に楽しみを得てもらえる、っていうか。そういうことがなんだか僕にはわかったんですよ。ハンバーガーとか、焼きそばが食べたい人って、家庭の味がいいのではと思って。そういうプロファイリングをしています。
やはり、この仕事の醍醐味は、お客さんとの距離が近いというところにありますね。お客様のご自宅というとてもプライベートな場所で、安心して食事を味わって頂いて、おいしい!と言ってもらえたら、次はお店にも気軽に足を運んでもらえるようになります。お客さんと触れ合えるというのはすごく楽しいですよね。普段、シェフって奥まった厨房でもくもくと料理を作ってる存在ですから。
今、お店としては、週に2回くらいケータリングをやっているんで、お店としては年間100回くらいの出張となります。が、僕がお伺いするのは実質週に1回くらいです。年間に50回くらいです。お客様の90パーセントは日本の方です。当店が日本語をしゃべれるスタッフが多いから・・・ということもあるかもしれませんね。あと、この付近には日本の方が多く住んでいる、カカアコやカハラ地区で、コンドミニアムも多いというのがあります。
エグゼクティブシェフと経営者・・・二つの顔を持つ三村さんの想いは、100%の料理への執念。
覚田)三村さんはエグゼクティブシェフと経営者というような2つの顔があると思うんですが、その2つを同時にする上でのバランスや、信念みたいなものはありますか?
また、スタッフのシェフへの教育など・・・
三村さん)基本的には、お店では絶対に同じ味が出せるように指導しています。もちろん100パーセントとは言えないですけど。僕以外のスタッフが料理を作って、お客さんに満足頂けず、帰ってしまわれたり、失望されたりするリスクもあると思います。でも・・・僕一人では、腕は2本しかないので、やっぱりスタッフみんなが同じように作れるようになって、僕が休んでいても、同じ味がでるように努力しなければいけません。
それは練習しかないんです。みんなが現場で頑張っている間、僕は四六時中、新しいメニューを考えています。ただ、表に出るメニューはなかなかできないんです。やっぱり100パーセントじゃない料理を僕は出したくはありません。
だから、レストランでよく見る、【今日の料理】というのは基本的には、あまりやりたくないですね。グランドメニューというのは僕が今日まで培ってきた何年もやってきた料理の中で一番と思うものを出しているので。
やはり、99パーセントじゃだめなんですよ、100パーセントの料理じゃないと。99パーセントのお料理を出したときっていうのは、会話は止まらないと思っているんですよね。お料理はミートソースでもいいし、サンドイッチでもいいんです。
実は僕、初めて、セブンイレブンのハムサンドイッチを食べたときに、うわっ!て思ったんですよね。立ち止まってしまいました。そういうのと一緒なんです。食べた時に、これ美味しいね!っていう、美味しいものを食べると会話が少しだけ止まってしまうんです。そんな料理を出し続けたいですね。すべての点と点が繋がった!っていうんでしょうか・・・シンプルに味や食感など、すべてのパーツが組み合わさっているんだろうなっていう。僕にとって料理は、お腹が空いた時に食べたいものであって、何か変わったものを求めているわけではなく【シンプルでうまいもの】、それこそが僕の料理理論の根底にあるんだと思います。
覚田)グランドメニュー。これに入れる料理は、おいしいというか、レベルやクォリティがそうとう高くないと入らない。ということですが、グランドメニューにひとつのメニューが入るのにはどのくらいかかるのですか?
三村さん)グランドメニューというのは、僕が何年もやってきた料理の中で一番と思うものをお出ししています。出ないときは1年以上工夫し続けてもメニューに出ない料理もたくさんありますね。ただ時には新しいメニューがパッとでるときもあるんですけど。
外食したときなどにヒントもらったりして、そのエッセンスを加えて100パーセントにもっていきます。これならお客様にワオ!といってもらえる!という確信に変わったときにやっとグランドメニューになります。
普段から、店舗のフロアを歩きながらお客さんの口元をみて、一口目に、会話が止まらなかったときは、あれ?ちょっと塩味が足らなかったんじゃない?と思って、どのスタッフがつくってたのか確認して、その人の料理を食べてみます。実際に自分が食べてみると、だいたいが気が抜けた料理になっていたりします。気が抜けたというのはやっぱりそのちょっとの違いですけど、煮詰め具合が足りないとか。塩味が足らないだとか、エッセンスが足らない、フレーバーが足りない、とか、そういうことはあります。実際は僕の感覚なので、普通ではわからないレベルなんですけどね(笑)
今、ここで働いてくれているスタッフを信用はしてますけど、やっぱり常にチェックは怠りません。僕の中ではそれが、経営を見ているってことにも繋がっています。その少しのズレやランダムをチェックすることによって、自分がいなくてもいい店にしていく。それが経営の安定化でもあると思うんですよね。僕にしか分からないゾーンだからこそ、しっかりみています。
そして、シェフとして、そして経営者としてもですが、お客様のお声を聞くようにしています。料理って、ただ、おいしいものを作ればいいわけじゃないですし、オケージョン、つまり雰囲気、出す料理、人、意味や価値・・・すべてにあったものを考えて作ることが求められてますよね。おいしいものって雰囲気が悪くても、うまいときもあるし、味覚って人それぞれ、ということでしょうけど、僕はお客さんのご意見ををすごく聞く方なんです。そのご意見から、すごいことを気づかされることも多いので、ソーシャルメディアに書かれている、うちの店の評判や感想は、よく見ていますね。もちろん、良いことばかりのコメントではないので、落ち込むときもありますけど、気づかされることがすごくありますし、やっぱりお客さんのコメントからプロファイリングできちゃうことがありますね。
よく料理を作る人から、的確なコメントを頂くことがあって。ちょっとパンチが足らないとか。でもうちのスタッフは99パーセント、僕がいなかったからだとかいうんですけど、それがポイントじゃないと僕は思っています。僕がいなかったらお客様からの不満が多いとよく言われるんですけど、そうじゃなくて、それは、やっぱりスタッフのモチベーションに、なにか問題があるんじゃないかって思っているんです。お客さんがむやみやたらにおかしいことを言ってるとは思わないからです。だから、スタッフにはお客さんをみろって言ってますね。シェフはなにが作りたいかじゃなくて、どちらかというと、なにをお客様が求めているかをみてから、何が作りたいを決めて欲しいから。
現地スタッフに、食べたこともない明太子パスタの美味しさをゼロから伝える三村さんの説得力
覚田)今、働いている人で日本人は何%くらいですか?
三村さん)日本人は一人です。どうして日本人を雇わないんですか?とよく言われますが、日本人がいないです。本心を言えば、日本人が一番良いですよ。やっぱり忠実にやってくれますし、こうやって話していることも全部伝わるでしょうし。僕の話も、文化も重要視しますし。こっちに移住している日本人というのは料理はやってないですね。
料理人というのは薄利多売なので、ビジネスとしては、なんでも難しいんでしょうけど、レストランではそんなにお金も払えないですし。難しいと思いますね。日本からやってきて、家を借りて住んで料理人として食べていくというのはそんなたくさんのお金をもらえるわけじゃないからやっていけないけど、こっちにもともと住んでいたら、家もあるし、時間もあるし、その中でもらえる給料でいい生活ができるような人じゃないとハワイでのシェフは厳しいですよね。
覚田)家賃さえなんとかなればいいと思いますけど、工夫すれば、食べるものとかはね。ただ、家賃や生活費が高いので、住むところに給料を全部持っていかれるもんね。また、電車もないし、地下鉄もないし・・・通勤できないですよね。
三村さん)そうなんですよ、そこでもうみんな苦労してますよね、日本だったら、オプションがあるじゃないですか、例えば東京だったら郊外の千葉に住めばいいとか、でもこっちってあの遠くに住んでもトランスポーテーションが悪いです。なので、日本人のスタッフ以外は、全員ハワイのロコとメインランドの人たちです。ローカルが多いですね。でも、お客さんは7割が日本人。このギャップを埋めるのがすごく大変です。今のスタッフに明太子パスタとか、彼らは最初は本当にわからないんですよね。人生で食べたことないので。もうこれを説明するのに本当に苦労しましたね。
食べさせてたらいいだけじゃないの?って言われると思うんですけど、1回作って食べさせても、その時はまだそれをおいしいと思わないんですよ。馴染みがないので。でもだんだん食べているうちに、これうまいな、ってなってくる料理があるんですよ。明太子パスタは、まさにそれでしたね。
シェフへの教育は何度も何度も食べさせることだけではないんです。詳細を説明するんです。僕の最初のお客さんってスタッフだと思っているので、うまく、わかりやすくお客さんに説明するようにスタッフにも説明します。口に入れた瞬間に、ほら、香りがあがってきただろう、とか。食べてる横から説明したり、時にはパスタを作りながら。もう料理と関係ないところからも話しますね。これはイタリアではね、日本ではね・・・とか、これはジャンクフードなんだけど。とか。明太子パスタって、ジャンクフードじゃないけど、喫茶店にでるような料理で、僕はこれをファインダイニングで出したい、だから海苔の置き方はこういう風にしてほしいとか、詳細を伝えていきます。でも、やっぱりそれを軽視するスタッフもいますし。なんだこれは!とか、フィッシーだ!とか。フィッシーって、魚の生臭い匂いのことですね(笑)。そんな感じで、文化が全然違うんですよ。
もしかすると、これが僕の一番のスキルかもしれないですね。よくある日本からきたすごいシェフがハワイや海外でレストランを開いてよく失敗したという話を聞くんです。なぜかというと、全然、現地のロコのスタッフが、言うことを聞いてくれないそうです。こっちの人は、親方の背中なんて絶対見ないですし。そんな日本のように師匠と弟子のような風習はないですもんね。それよりもまず、お金はいくらくれるんだ?って。で、みんな1ドルでも多いところで働きたい。目の前で昨日働いてたのに、次の日にいきなり違うお店で働いてたり(笑)。どうして?って聞いたら、給料が1ドル高かったからと・・・。そういう世界なんで、そこも理解した上で、やっていかないとだめだなと思ってます。
やっぱり僕は日本で育って、給料は安く、無駄なものはつかうな、どんどん削減しろ、って教わってきたんですけど、アメリカでの違いはそこをすごく感じますね。でも、絶対一番高い給料は払えないんですけど、水準が10ドルだとしたら、僕は11ドル払うという気持ちではいますね。
今給料が一番高いわけではないけれど、それ以上に情熱だとか、コンセプトとかで、みんなが今僕についてきてくれているってことは、本当にバランスだと思います。どれだけ情熱があってもお金が低いと絶対働いてくれないですし、水準以上であれば、そこにさらにパッションが加わって、みんなが美味しいものをだしてくれるのであれば、僕は喜んでお金を払います。
イタリアンシェフである三村さんの原点・・・・それはやっぱり日本の食文化。
覚田)ご自宅では、どんな食生活をされているんですか?家でも料理を作って娘さんに食べさせたりするのですか?
三村さん)家でつくりますよ。もうなんか自分の食べたいものってあるので。
普段は奥さんが作ってくれています。ただピザとかパスタは絶対作らないです。パスタが出てくることは、まずないですね。僕も家ではパスタは作らないです。ま、言われれば、つくりますけど。基本は店でしか作らない。ただ、もし家でピザがでてきたら、ちゃぶ台をひっくり返しますね(笑)。僕の中で絶対ありえないですよ。「食」って、僕の中ですごく重要なので。
覚田)じゃあ家では和食なんですか?
三村さん)100パーセント、和食と中華ですね。洋食だったら・・・頑張ってグラタンですかね。そういう昔から日本で食べていた、馴染みのある料理を食べとかないと、イタリアにいた最後のほうでは、あまりにもイタリアにどっぷりつかりすぎて、食生活もイタリアンだったんですね、そしたら最後・・・僕の精神がちょっとおかしくなっちゃって。もう俺は無理だ!って自分を悲観的に追い込んでしまったり、スタッフともめたりして・・・。それが、イタリアを撤退して、ニューヨークへ移住する決断をするきっかけにもなったんですよね。
僕にとって、ドンキホーテや、ニジヤ(ハワイの日本食材マーケット)のない海外生活なんてありえないんです。やっぱり日本の食文化、僕のルーツがそばにあることが、僕の精神安定のためにはすごく大事なことなんだと思います。
覚田)なるほど・・・面白いですね。
三村さん)アメリカでは絶対に自分の生活は我慢しない。
海外ではまずはストレスフリーにしようと思っています。
子育てを巡って夫婦喧嘩!?エグゼグティブシェフであるがゆえの、苦悩とは?
もしかすると、これが僕の一番のスキルかもしれないですね。よくある日本からきたすごいシェフがハワイや海外でレストランを開いてよく失敗したという話を聞くんです。なぜかというと、全然、現地のロコのスタッフが、言うことを聞いてくれないそうです。こっちの人は、親方の背中なんて絶対見ないですし。そんな日本のように師匠と弟子のような風習はないですもんね。それよりもまず、お金はいくらくれるんだ?って。で、みんな1ドルでも多いところで働きたい。目の前で昨日働いてたのに、次の日にいきなり違うお店で働いてたり(笑)。どうして?って聞いたら、給料が1ドル高かったからと・・・。そういう世界なんで、そこも理解した上で、やっていかないとだめだなと思ってます。
やっぱり僕は日本で育って、給料は安く、無駄なものはつかうな、どんどん削減しろ、って教わってきたんですけど、アメリカでの違いはそこをすごく感じますね。でも、絶対一番高い給料は払えないんですけど、水準が10ドルだとしたら、僕は11ドル払うという気持ちではいますね。
今給料が一番高いわけではないけれど、それ以上に情熱だとか、コンセプトとかで、みんなが今僕についてきてくれているってことは、本当にバランスだと思います。どれだけ情熱があってもお金が低いと絶対働いてくれないですし、水準以上であれば、そこにさらにパッションが加わって、みんなが美味しいものをだしてくれるのであれば、僕は喜んでお金を払います。
覚田)娘さんの子育てはどうされているんですか?
三村さん)家ではもう完全に日本語で会話しますね。学校はもちろんフリースクールで、英語です。基本はハワイで子育てをしたいですけど、将来なにかオプションがあったら、どこかに行ってもいいなとは思いますが、今のところ、ハワイが一番いいですね。家もありますし。
実は今、娘の食に対して、問題が勃発しています。僕は家で料理を作ることがよくあるんですけど・・・
覚田)え〜。いいな、娘さん。三村さんの料理を食べれるのは
三村さん)最近はそのせいで娘の舌が肥えちゃって。舌が濃くなっちゃうんです。それで、舌が濃いものを好むようになってしまうので、それはダメだと。やっぱり、料理人がつくる料理って、一発目からガツンとくる料理が好まれるので、それを幼い娘に食べさせちゃうと、もう奥さんがつくったお料理を食べなくなっちゃうんですよ。私の料理を食べないって、新しい形の夫婦喧嘩ですよね(笑)。
全然食べないから、最近では味を薄くしています。僕の料理はしっかり味がきまっちゃってるんですね(笑)。普段でも、アメリカでプライムと呼ばれる良いフィレ肉とか使って、お料理を作っているので、娘がそれに慣れちゃったら、普通のお肉が食べれなくなりますね、確実に。それが問題だから、今、食事改善をさせています。とはいえ、女の子なのでプアーにさせたくないっていうのはあるじゃないですか。良いものをたくさん食べて欲しいと思いますけど。
覚田)これから大きくなった時に、彼女の彼氏は大変だと思いますよ(笑)
なにもないからハワイがいい!日本の文化も融合したハワイで、ストレスフリーな生活。
覚田)ご家族とのハワイの楽しみや過ごし方を教えてください。
三村さん)ハワイでの楽しみ方は、やっぱり公園に行ったり、海に行ったりですかね。
おすすめの公園は自宅から近い、アラモアナパークですね。あそこで、キックボードを娘としたりすることが多いです。海も、カイルアとかが遠浅でいいかな。ちょっと風が強いですけど。あとは、バーベキューをしたり。やることは基本ないですよ。ディズニーランドとかUSJとかまったくないですし。
でもそれが、いいのかなって思ってます。その、ものすごく・・・暇なところが(笑)。
覚田)そう。だから家族とずっといれますよね。
三村さん)やっぱり、家族と過ごす時間ですね。リラックスできて、なによりもこの気候ですかね。この風・・・すばらしいですよね。そしてなにより、ハワイには日本の文化があるじゃないですか。こんな住みやすいところは世界にはありません。
だからこそ、ハワイの外に出かけていく旅行をすると、違う刺激を受けるので、すっごく楽しいなというのはあります。だから逆に旅行するときは本当にやりたい放題やるっていう。楽しくて仕方ないですね。もう最近はそこだけにしかお金使わないです。ほんとにハワイでは全然お金使わないですね。車にも興味ないですし。
覚田)そうですね。それに道が凄く悪いもん!
例えばフェラーリ買ってもすぐにフェンダーが曲がると思う。道路も穴ぼこぼこだし、高速道路も波打っている(笑)。そんなところもいいですね。
三村さん)あと、海いけないですよね、そんな車で。砂が入ってきますし。
覚田)ストレートも少ないし、かと言って、そんな山道ないでしょう?それに信号がないから余計スピードだせないし。
三村さん)それでドンキに行くわけにはいかないですよね。ハワイでの車の楽しみ方というのはむずかしいかもしれないですよね。
覚田)やっぱり、ハワイの良いところは、気候と環境。ハワイは半分アメリカだけど、半分日本にいるような感覚です。住んでいると、風が気持ちよくて、避暑地にいるようだし。そして、ワイキキはある程度都会で、パレードなどもあって、イベントも盛りだくさん。そして、ハワイにいるとたくさんの方に出会えます。みんな会いに来てくれますよね。
三村さん)それもすごくいいと思うんですよね。イタリアにいたときは、親戚なんて一人も来なかったですよ。4年間もいたのに。でも、ハワイは日本で会ったこともない遠い親戚も来ます(笑)。海外に住むと、だいたい5年くらいで、その土地の悪いところが見えてくるんですけど、ハワイはどんどん良くなっていきますね。もちろん仕事においては、ストレスもちょっとはあるんですけど、でも本当になにもかもがストレスフリーです。多分こんないいところはないだろうな、って思います。
覚田)本当にハワイは最高ですね。今日は長い時間、インタビューに対応頂いて、本当にありがとうございました。
三村さん)こちらこそ、インタビューが上手でいろんな話を思い出せて、楽しかったです。ありがとうございました。あっお腹空いてないですか?
急がなければなにかお出ししましょうか・・・・
覚田)ありがとうございます。それでは、早速・・・・(笑)
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